大正13年(1924)1月4日、
帝国在郷軍人会野尻村(のじりむら)分会主催により、
西南戦争参加者の宮田勝蔵命をはじめ、
日清戦争・
日露戦争での戦没者十三柱の御霊(みたま)の合同慰霊祭が行われました。
先の多くの戦死者に加え、更に昭和7年(1932)の1月に起きた
第一次上海事変で3名が戦死されましたので、
在郷軍人会野尻村分会では、同年4月13日の役員会議で忠魂碑建設を満場一致で決議しました。
村当局や議会をはじめ各方面に呼びかけ、全村挙げて賛同を得ました。
建設を決議してから2年余りの歳月をかけて、青銅砲身型の御標(みしるし)に「彰忠(しょうちゅう)」の金文字を浮き彫りにした塔柱、それを支える
花崗岩の基礎、その四隅に青銅の
狛犬を配置した野尻村忠魂碑が竣工しました。
昭和9年9月、竣工式、除幕清祓式(きよはらいしき)、碑前
招魂祭が行われました。